自分のこと。

日記と自分語り。

2022/04/15(金) 小説を読むのが億劫な理由

「読書は、人間が自分のイマジネーションで楽しむ究極の遊びなのです。」

『究極 読書の全技術 (KADOKAWA)』 齋藤孝 p.74

通勤中と昼休みの時間、小説『千里眼』を読み進めた。
読めば読むほど、先が気になる展開に魅了されていく。どんどん続きが読みたくなってくる。

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この「どんどん続きが読みたくなる」状態に入るためには、ある程度のページ数を読み進めなければならない。おそらく、作品のイメージを頭の中で作り上げるのに時間がかかるからだと思う。だから、小説を読むときは読み始めが一番エネルギーを使う。ちょうど自転車を漕ぐときのように、スピードに乗るまではちょっと頑張らなくっちゃあいけない。一度スピードに乗ってしまえば後は楽なんだけども。
僕は今まであまり小説を読んでこなかったのだけど、その理由がこの読み始めにエネルギーを使うのがしんどかったから、ということを最近自覚した。ただ自覚できたおかげで、今はむしろ読み始めを楽しむことができつつある。小説の世界観を自分の脳内で創造する、この過程を少しずつ楽しめるようになってきた。

自分が小説を読むのに向いていないのではなく、ただ楽しみ方を知らなかっただけだった、と気づくことができて少し救われた。こういうことは小説に対してだけじゃなく、他の苦手だと思っていることに対してもあるのかもしれない。

では、また。