自分のこと。

日記と自分語り。

寿司は偉大 2022/05/28(土)【日記】

久しぶりに会社の同期で集まり、みんなでランチに行った。
時間差で運ばれてくる料理にどこか気を遣ったペースで口をつけながら、各々、近況を報告し合っていた。
一人は「付き合った相手を必ずメンヘラにしてしまう」という誰も幸せにならない特異体質を持っており、最近も相手をヘラらせて別れたらしい。
交際末期には、ヘラった相手から夜中に助けを求める電話がかかってきたりしたらしい。
同期内では、彼が優しすぎるせいで相手がヘラる、という結論で概ね合意が取られた。
僕が思うに、ヘラ素質を元来持っていた子に、彼はモテやすいのだと思う。
その上、彼は端から見れば自己犠牲的とも言えるまでの優しさを持ち合わせており、精神的に崩れやすい相手に依存されやすい。
要は、ヘラを呼び込む体質と、ヘラに依存されやすい体質という2つの血継限界が互いにフィードバックし合っているのだ。
そして彼もまた、そんな相手に影響されてヘラってしまい、結局別れるしかなくなるのだ。
なんとも罪な男である。

ランチ後は学生時代の友人と会った。
東京から帰ってきたばかりの彼は、札幌の町並みを見るなり「寂れたね、もう発展しないしょ」と口にした。
実際のところ、寂れたのかどうかはずっと札幌にいる僕には分からなかった(コロナの影響は間違いなくあるが)
僕は「そうだね」等と適当な相槌を打ちながら「嗚呼、彼もこうなってしまったか……」と内心悲しんだ。
札幌に限らず、上京後に帰ってきた人間の中には「東京暮らしの優越感」を地元に持ち込んでくる輩がいるだろう。
そんな優越感など地元に住み着いている人間からすると不快以外の何物でもないので、羽田の所持品検査で取り上げてほしいと思っている(いや、検疫の方が適しているのかもしれない)

「え、寒い、上着ないわ」「家賃安くね?」「遊ぶ場所ないね」と帰省者の三大ワードを口にした彼は満足したのか、これもまた札幌への帰省者の常套句である「寿司食べたい」を言い放った。
大切な友人が排すべき敵となってしまい、その上、彼は地元民である僕をやたらと高い価格設定の寿司屋(観光者用)に連れて行こうとしてきたのだ。
普段は争いを好まない僕ではあるが、ここまで地元と自分をコケにされて黙ってはいられなかった。
「(よろしい、ならば戦争だ)」と内なる少佐が戦う意志を固めた。
寿司屋の待ち時間の目安は1時間となっていた。即刻待機を始めた。(先に書くが、結局2時間以上待たされた)
「(いいだろう、受けて立とう)」と僕は心の中で意気込んだ。
え、結局寿司食べるんかい、と思った方もいるだろうが、僕だって寿司は食べたい。おいしいから。
その代わり、僕は宿敵となった友人に待ち時間という地獄をくれてやることにした。
友人は、羽田から飛行機→新千歳からJR、という長旅で疲れていることが見て取れたため、さらなる肉体的・精神的負荷をかけてやることにした。
1時間待ったが、まだ前に10組以上はいた。
彼はかなり辛そうにしていた。僕の狙い通りである。ざまあみろ。
2時間待った。おかしい。彼も辛そうだったが。僕も辛かった。
僕も僕で午前中からずっと外出していたことを考慮に入れていなかった。普通にしんどかった。
2時間と少し待ったところで「(停戦しよう)」と僕の心が折れたその時、ようやく名前が呼ばれて席につけた。

2時間以上待って食べた寿司はとても美味しかった。
友人も満足だったようで、二人で満腹になるまで食べた。
先程まで彼は憎むべき敵のはずだったが、共に寿司を喰らうと、もうどうでもよくなった。
終戦である。寿司は偉大だ。


では、また。